いまある「国のカタチ」は、私たちの選択の結果なんだ、ということですね。歴史上のある時点で我々がなにかを選択して、その結果いまのような国があるのだと、そういう認識を持てるかどうかが重要だと思うんです。日本史研究者の目から、歴史HERNO【ヘルノ】スプリングコート IM003UL 11107 8500 GORE-TEX polyester KHAKI(ポリエステル・カーキ)学の知見が世相とどう渡り合うかを考えています。このページに載せるエッセイ自体は歴史学そのものではなく、かつ所属組織とも関係のない個人の見解です。著書に『翻訳の政治学 近代東アジア世界の形成と日琉関係の変容』(岩波書店)、『帝国の残影 兵士・小津安二郎の昭和史』(NTT出版)、『中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史』(文藝春秋)。
もちろん選択したといっても、なんでもかんでも自由に選べるわけではありませんよ。たとえば日本列島が地理的にこの位置にあるということは選べないし、戦争に負けて占領されたりしたら、非常に制約された選択肢の中からしか自国の進路を選べなくなる。それに国というのは膨大な人々の相互行為によってなりたっている現象なわけだから、仮に総理大臣になったところで、全然、自分の意志どおりに動かないじゃないかと。選択権なんて行使させてもらってませんよと、そう言いたくなるという側面も確かにある。
しかし、それでもなお、私たち自身が選択した結果として今こうなっているのだと「見なす」ことによって、別の選択をすれば変えていけるんだと、そう思えるようになる。もちろん逆に、自覚的に「変えずに守る」という選択をしてもいい。これが近代社会、いわゆる先進国の前提にある大原則なわけですね。2013年は安倍晋三首相の突然の靖国神社参拝によって、「歴史問題」のなかに幕を閉じました。もはや「問題」の種としてしか社会で取り上げられないのなら、「歴史」なんてみんなで忘れてしまった方が幸せになれるのかもしれない。そんな時代の隅の方で、もはやそれ自体がアナクロな存在になりつつある歴史というものを、考えてみたいものです。
政治学的な定義とは違うかもしれないけど、国民主権というのはそういうことだと私は思うんですよ。「自然とこうなりました」とか、「偉い人がこう決めたから、どうしようもない」とかいうことではなくて、すべては私たちが選んだ結果として、いまのこの国のカタチがあるんだと。そう思ってやっていこうじゃないかと。
国民国家が歴史を必要とするのは、別にお国自慢をするためじゃないんですよ。江戸時代を成立させて中世までとは違う国のカタチを築いた時、明治維新でそれを壊した時、戦時体制を作るためにもう一度国のカタチを戻した時、その戦争に負けてこれからは民主主義でいこうと決めた時、戦後の55年体制をやめて政治改革を目指した時……。それぞれの時点で、私たち自身が選んできたんだと、そういう自覚を新たにする契機を見出すために必要なんです。それが、50年、100年、500年といったそれぞれのスHERNO【ヘルノ】スプリングコート IM003UL 11107 9290 GORE-TEX polyester NAVY(ポリエステル・ネイビー)ケールで歴史を振り返ることの意義であり、その人にとっての「歴史観」を作るのだと思います。
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